さて今日のテーマは、毎月の投資額をいくらにするか。
収入のどれくらいを投資に回したらいいのか、悩んでいる人いませんか?
そのあたりを先人たちの本に尋ねてみることにしました。
題して大富豪に学ぶ蓄財術!
第1回目は幕末から大正時代を生き抜いて、巨大な富を一代で築いた商傑、安田善次郎さん。
安田財閥の祖を築いた人ですね。東大の安田講堂を建てた人って方がわかりやすいかも。
この彼が貧乏丁稚から身を起こし、いかにして巨万の富をたくわえていったか。波乱万丈の人生を、これから投資家になろうという方々にわかりやすく、エピソード満載でお届けしたいと思います。
今年こそ投資を始めようって人は、ぜひ参考にしてみてください!
第2弾はこちら↓↓↓
巨大財閥の祖、安田善次郎
安田善次郎は1838年、富山藩の下級武士(半分農民)の子として生まれました。
貧乏丁稚から身を起こし、25歳で独立。安田銀行(現みずほフィナンシャルグループ前身)を皮切りに生損保(現損保ジャパン日本興亜や明治安田生命)、東京建物等を次々と設立。鉄道や炭鉱事業でも財をなしました。
彼が礎を築いた安田財閥は、三井・三菱・住友と並び称される4大財閥の1つです。
この善次郎さんが大正8年(1919年)、80歳のときに出版したのが『金の世の中』(Amazonプライム会員の方はKindle Unlimitedで無料で読めます)。
すごいタイトルやな
収入の2割を「非常事態」のために貯蓄
この著書『金の世の中』に、善次郎が若いころから実践してきた蓄財術が記されています。
その部分をかいつまんで読んでみましょう。
私はその準備として、分度生活の方法を立て、これを堅く守ってきた。というのは、収入の八割で生活を立て、二割は必ず非常事態の準備として貯蓄したのである。収入の八割以上は、たったの一文でも使うことなく、ことごとく貯金した。(現代語訳=梔堂)
冒頭に「その準備」とあるのは、「病気と災難」のこと。
善次郎は不慮の事態で働けなくなることを考えて、早くから貯蓄に励んだそうです。
その貯蓄割合は、収入の2割。
この蓄財を実践するため、善次郎は収入の8割での生活をかたくなに守り続けたそうです。
初めて江戸に出て奉公した時の一年の給料は三両二分で、銭湯代と髪結銭と着物は自分持ちになっていたが、その時から私は八割の分度は堅く守ってきた。だんだんと給料が上がってきて、十両もらうことになっても、また店を開いて百両二百両の儲けが出るようになった時でも、八割の分度は堅く守った。
善次郎が収入の8割で生活、2割を貯蓄するために大切にしたのが「勤倹」という考えでした。
手っ取り早く言えば、「勤勉に励み、かつ節約する」という意味ですね。
「この勤倹貯蓄の心掛けがない人は成功しない」とも善次郎は書いています。そういう人は「ほぼ例外なく目的に対する信念が弱い」ため、なにごともなしえないというわけです。
一滴の水を集めて大海を作る「勤倹貯蓄」
その一方で、「収入の二割を貯蓄するということは、いずれは遂に大きい金になるものと思わなければならない」とも語っています。
「塵も積もれば山となる。大海も一滴の水より成り、千里の道も一歩より始まり、地球も一塊の土・一滴の水より成るものである。月にわずか一円、二円の端金(はしたがね)でも、数年数十年と経てば、自分ながら驚くほどの巨額に達するものである。勤倹貯蓄は、要するに塵を溜めて山を作り、一滴の水を集めて大海を作るものである」
富山の貧しい家に生まれ、19歳で江戸に出てきたとき、善次郎の所持金はわずか「2朱800文(執筆当時の貨幣で58銭)」しか残っていなかったそうです。
善次郎がこれを執筆した大正8年ごろの58銭とは今の貨幣価値に直すといったいどれくらいだったんでしょう。
昔の貨幣価値を考える際、よく引き合いに出されるのはお米の価格です。
Wikiの「米価の変遷」によると、名古屋米穀取引所での大正8年の米の年平均価格は1石(180kg)約38円とあります。1kgあたりに直すと約21銭です。
つまり、当時の58銭は米3kgを買えるか買えないかがやっとのお金という感じ。これを現代の米の価格に直すと2,000円前後ってとこですかね。
1日3合(540g)食べるとしたら、5日ちょっとで食べきっちゃう量です。
善次郎はそのわずかな所持金から勤倹貯蓄を始め、やがて国家予算の8分の1とも言われる財を作っていったのです。
もちろん商売や投資の才覚もあったんでしょうが、何にせよ元手がないと始められないわけで、そのためにもコツコツとお金をためていくことが大事なんですね。
そして、ためたお金を複利で運用していくと、いつしかとてつもない金額になっているわけです。バフェットさんのいう「雪だるま」ですね。複利の効用については以下の記事参照↓↓↓
善次郎はお金を貯める効用について、このようにまとめています。
- 一身一家の生活を保障するだけではなく、万が一の場合に対処するための余裕を持ち、いかなる不測の事態が起こったとしても、問題ないように安定した状態に至ること。
- 世に立ち、紳士として生きていくための資格を作ること。
- 善良で、社会の役に立てる人間になること。
これを総括的に言えば、『貯蓄とは、優秀な生存競争法である』と言えるのである。
寄付を断ってテロに刺される
さて、一大財閥を築いてなお意気盛んにお金儲けを続けていた善次郎ですが、その最期はあっけないものでした。
『金の世の中』を書いた2年後の1921年(大正10年)9月、朝日平吾という政治活動家にして右翼テロリストの青年に「奸富」呼ばわりされて大磯の別邸で刺殺されたのでした。
理由なき寄付を断ったがために短刀でのどを突き刺されて善次郎は絶命。犯人もその場でのどを刺して自害したという痛ましい事件でした。
犯人の遺した「斬奸状(人を斬り殺す理由を記した書)」にはこうありました。
奸富安田善次郎巨富を作すとも富豪の責任を果さず国家社会を無視し貪慾卑吝にして民衆の怨府たるや久し余其頑迷を憐み仏心慈言雖も改悟せず由て天誅を加えて世の警めと為す
神州義団々長 朝日平吾
要するに、「大金持ちのくせにけちけち貪欲に生きやがって、おれが民衆に代わって天罰をくわえてやる」ってことですね。もう完全な金持ち憎しの言いがかりというか、やつあたりというか、、、。
犯人は誤解していましたが、善次郎は陰ながらいろんなところに寄付をしていたようです。有名なところでは、東京大学の講堂。善次郎の死後、これが「安田講堂」と呼ばれるようになったのです。
しかし、こうした寄付は名声のためにやるのではなく、隠れてする「陰徳」であるべきと考えて、善次郎は公表はしていなかったようです。犯人が善次郎のそうした社会活動を知っていたら、この凶事に突き進んだかどうか。
『金の世の中』しか読まれていなかったとしたら、善次郎も死んでも死にきれないですね。
享年82。「五十、六十は鼻たれ小僧。男盛りは八、九十」という言葉で知られる善次郎ですが、その「男盛り」を迎えて間もない無念の死でした。
「手取りの2割」を投資に回す
さて、善次郎の蓄財術、いかがだったでしょうか。
収入の2割を貯蓄せよと善次郎は書いていますが、現代人は所得税やら社会保障費やらいろいろ差し引かれますから、我々は税引き後の「手取りの2割」を目標とすべきでしょうね。
20万円の人なら4万円、30万円の人なら6万円。
増えていくに従って、使える金額を増やしていってもいいけれど、2割の貯蓄は必ず守る。それがチリツモでやがて巨大な山が築かれていく。
で、ここからは私の補足ですが、現代人はお金をただ銀行に預貯金してるだけじゃダメです。
年利0.001%というゴミのような金利で遊ばせていると、見えないインフレ進行によってお金はどんどん目減りしていきます。早いとこ資産が資産を生むように、お金に働いてもらわないといけません。そのへんは以下の記事を参照↓↓↓
意志の弱い人は、給料をもらったらすぐ2割を投資に積み立ててしまうのがいいでしょうね。初心者の方には米国インデックス連動の投資信託なんかおススメです。
また、手取りの2割を投資に回せないという人は、収入と支出のバランスがおかしいと思ったほうがいいです。以下を読んで家賃や保険料、携帯代やサブスク代などの固定費を削り、ライフプランを見直してみてください。
なんかブログの宣伝ばかりになってしまいましたが、要は毎月の蓄財も投資の勉強も早いとこ習慣化してしまうのが一番ということ。
蓄財も投資も早ければ早いほど有利なのです。
- 2割を貯蓄、8割で「勤倹貯蓄」生活
- 塵を溜めて山を作り、一滴の水を集めて大海を作れ
- 貯蓄とは、優秀な生存競争法である
- 国家予算の8分の1の財産を築いたが暴漢に暗殺