今日は投資の勉強はお休み
ちょっと趣向を変えて、新聞記者の仕事の裏話をしてみます。
需要あるかな?
ああ、赤坂の夜は更ける
「新聞記者は体力が資本」。昼間に取材・執筆して、夜討ち朝駆けは当たり前。取材を兼ねた飲みの席も多いです。
ここだけの話、政治部の記者はよく政治家に美味しい夕飯をゴチになっているなあと思って見ていました。
名目は「記者懇(記者懇親会or記者懇談会)」だか「意見交換会」だか。
政治家本人(または秘書)が子飼いの番記者を集めて意見を聴く、みたいな建前ですね。
赤坂あたりの高級料亭で開いて、お開きの頃にはいつの間にか会計が済んでいるって寸法です。場合によっては1人ずつ領収書が渡されるなんてこともかつてはあったとかなかったとか(理由はわかりますね)。
道義的にどうかと思うけど、ここで政治家ご本人が重要なことをささやいたりするので、番記者は行かないわけにいかないのです(下手すると「特落ち」になるやもしれず)。
自分の分だけお金を出すというマジメな社もありましたが、別会計にすると会計担当の秘書の人に余計な仕事を増やすことになるし、そもそもそういうお金が経費で落とせない社もあります。
いきおい、番記者は足並みそろえてゴチになるわけです。
政治家と番記者のズブズブの関係
そんなこんなで政治記者は政治家とズブズブの関係になっていくわけですね。
昔は、優秀な政治記者なら政府を転覆させられるネタを1つや2つ必ず握っているなんて言われたものでしたが、果たしてそんな緊張関係が今はあるのかどうか。
きんちょう、、、
記者クラブという名の仲良しクラブの弊害も時々取りざたされますね。
記者は煙たがられるくらいがちょうどいいんだけど、飼いならされた記者ばかりになっているんではないかと心配になります。
数年前、『新聞記者』という映画(藤井道人監督、松坂桃李/シム・ウンギョン主演)が話題になりましたが、あの原案となった同名の本や同じ著者の『同調圧力』(いずれも角川新書)に、記者クラブのことが書かれていました。
著者は東京新聞の望月衣塑子記者。
「令和おじさん」こと菅義偉官房長官を質問ぜめにして怒らせたあの方です。
本の中ではけっこう驚くべきことが語られています。
特に、政府側から内閣記者会に対し、望月記者を黙らせるよう(事実上の締め出し)要請があったこと、同記者会の幹事社が望月記者の挙手を無視して質問を打ち切ったことなどは、ひどい話だと思いました。
同時に、おそらくその通りだったんだろうなあとも想像しました。平気で政治家に忖度(そんたく)するような記者を私も現役時代に社内外でけっこう見ましたから。
でももし、私もこの記者クラブの一員だったら、「めんどくせーなこいつ、この場で聞くなよ」「早く終わらせたいんだから、空気読めよ」と思っていたかもしれません。こういうのも無言の同調圧力になりますね。
まあこの場はあくまで投資の勉強ブログなので、そこまでジャーナリスティックに深入りはしません。
でも望月記者のように、忖度なんかせずに権力に真っ向から挑んでいく記者を、私は元新聞記者のはしくれとして応援します。
あ、映画はめちゃくちゃ面白かったです!出演陣の演技もすばらしかった。
エンターテインメントによく落とし込んでいますが、けっこうマジな内容で、いろんな意味で恐ろしくなりました。
内調トップの「この国の民主主義は形だけでいいんだよ」というセリフ!あれはなかなか背筋がぞくっとなる名言でした。
どっちかというと新聞記者より「高級官僚」の物語って感じでしたけどね。あの人間関係、上下関係のドロドロの一端を私も現役時代に垣間見たことがあります。
罪悪感と「黒メシ」と
閑話休題。
相手が払ってくれる食事会や記者懇親会は、政治記者に限らず、記者なら少なからず経験していると思います。程度の差こそあれ。
我々はそれを「黒メシ」と半ば自嘲的に呼んでいました。「汚れ」の黒なのか、「腹黒い」の黒なのか、「黒歴史」という語の「黒」のニュアンスに近い。いずれにしても後ろめたい、隠したいものであることは確かでしょう。記者にももちろん罪悪感はありますからね。
失礼しちゃうぜ!
私も地方にいたときなど、地元企業の経営者なんかに呼ばれて寿司や酒やらをゴチになったことが少なからずあります。
地方の金融機関の中には、記者を集めてうな重やら幕の内弁当やらをふるまう昼食会を毎月定期的に催すところもありました。
会場に行くと頭取はじめ役員が長い会議テーブルにずらっと並んで座っています。その向かいに地元の経済記者クラブに属する記者がずらっと座る。
他社の記者もいるし、広報の人間が後ろから監視しているしで、こんな席でろくに取材なんかできません。
だから最初は雑談なんかしながら食べているんですが、そのうちネタも尽き、あとは双方、黙々と食べていきます。そして、食べ終わった頃、適当に用意しておいたヒマネタが発表され、頭取自らが説明して、記者はそれを手土産に社に帰ります。
ヒマネタとは、大したニュースじゃないけど、記事が足らない時に埋め草として入れるネタのこと。他に大きなニュースもなくヒマなときに使われるためそう呼ばれる。
「こういうのやめませんか」と広報に軽く提案したこともありますが、やんわり断られました。付き合いの長い地元紙のおじさん記者なんかが楽しみにしてたりするので、結局なくなりませんでしたね。
まあ嫌なら出なけりゃいいだけの話なんだけど、やはりトップやこの日のために一生懸命用意する広報の人たちの心象を悪くするのはこちらとしても避けたいわけです。
地元の名士である頭取に取材させてもらえなくなるのも困るし、普段お世話になっている広報の人が役員や上司からどやされている姿を想像するのも心が痛むし。
まあ僕も記者やめて10年近くたつので、まだこうした前時代の遺物のような黒メシ文化が続いているのかは定かでありません。
新聞社のコンプライアンスだってものすごくうるさくなって来ているはずなので、とっくになくなっていることを願っておりますが、、、。
財務官僚がワリカンな理由
そこへいくと、財務官僚との食事は一点の曇りなき「白メシ」でした。
情報を聞き出すために我々が誘うケースが多いため、「今日はこちらが」と言ってお代を持とうとするんですが、みなさんかたくなに拒否してくるので、いつもワリカンでした。
この潔癖さがどこから来ているかというと、大蔵省時代のあの苦い経験があったからだと思います。
大蔵官僚がMOF担に接待づけにされ、大きな社会問題となり、とうとう逮捕者や自殺者まで出て、大臣や事務次官が辞任に追い込まれた事件、覚えていますか?
MOF担とは、銀行や証券会社の大蔵官僚折衝担当者。要するに金をばらまいて接待攻勢し、金融検査の検査日を聞き出したり、検査に手心を加えてもらったりするのが仕事。大蔵省=Ministry of Financeの頭文字から。
ノーパンしゃぶしゃぶ事件とか大蔵省接待汚職事件とか言われ、ひところ大騒ぎになったアレです。
これが2001年の中央省庁再編の間接的な引き金となり、大蔵省は財務部門と金融監督部門に真っ二つに分離されることになったのでした。
官僚は権力と権限を拡大増殖させるのが生きがい(使命?)だったりするので、大きな権限が2つに割れるのは相当な屈辱だったわけです。
ちきしょう、、、
まあ記者個人の接待なんてたかが知れているので、そこまで心配していなかったと思いますが、彼らは自分のキャリアに傷がつくことを極端に嫌いますからね。
李下に冠を正さずってやつです。いや、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くかな、この場合。まあどっちでもいいや。
要は疑われないように細心の注意を払っていたということです。それだけ、のど元過ぎても熱さ忘れずな事件だったんですね。
あ、でも、記者が乗ってくる黒塗り社用車に乗って帰宅することには、皆さまあんまり抵抗がなかったようでしたね。
あの社用車、実は時間いくらでタクシー会社から運転手付きでまわしてもらっているので、厳密に言えば「接待」なんですけどね。
新聞記者のお仕事(2)に続く