フランス人経済学者トマ・ピケティ氏、ご存じですか?この人↓
ピケティ氏(以下敬称略)が2013年に発表した『21世紀の資本』は、資本主義の矛盾を見事にあぶりだし、経済学に一大センセーショナルを巻き起こしました。
今日はこの本の中身とそこで示された不等式「r>g」の意味(読み方は「アール大なりジー」)、さらにその式の裏側にある「お金持ちになるヒント」を解説していきます。
目次
不等式「r>g」とはなにか
『21世紀の資本』の分厚い内容を簡単にまとめると、以下の3点に集約できます。
- 資本主義下では経済成長率(労働者の賃金)より資本収益率(投資家のお金)の方が大きくなりがち。
- この貧富の格差は世襲を通してさらに拡大していく。
- 不平等を解消するには資産への課税強化が不可欠。
この①を簡潔に表したのが不等式「r>g(アールダイナリジー)」です。
- rとはリターン(return=資本収益率)
- gとはグロース(growth=経済成長率)
のこと。
労働者の所得成長は経済成長とほぼ等しいので、gの経済成長率は所得成長率と同義と思ってください。
つまり、この不等式が意味するのは、資本への投資によって得られる利益成長は、労働によって得られる賃金上昇を常に上回るということなのです。
しかも持てる資本が大きければ大きいほど持たざる者より資本の蓄積は進みます。
従来の経済学モデルでは、「資本収益の伸び率は富や所得の大小に関係なく一定」と考えられていました。
でもピケティはそんな経済学の従来モデルを否定したのです。
たくさんの資本を持っている人ほど別の投資に回せる余裕があり、資産の運用・管理も高度な専門家に任せることができる、というのがその理由です。
繰り返しになりますが、まとめると
金持ちが投資にあてるお金の方が、労働者が働くよりずっと効率よくたくさん稼ぐし、もっと金持ちになる
ってことです。
立身出世か資産家の娘との結婚か
おおまかな内容が理解できたところで、ここからは僕なりに注目した中身を紹介していきます。
ピケティが『21世紀の資本』の中で何度も言及している小説があります。
フランスの文豪バルザック(1799〜1850)の代表作『ゴリオ爺さん』です。
物語の舞台は1819年のパリ。
主な登場人物は、田舎から出てきた法学生のラスティニャック、極悪人ヴォートラン、そして隠居老人のゴリオ爺さん。みなパリにある同じ安下宿に暮らしています。
田舎から出てきたラスティニャックは、パリでの立身出世と社交界への進出に野心を燃やしています。
この世間知らずの青年を利用してやろうと、悪党ヴォートランが彼に社会の現実を「説教」しつつ、悪事をそそのかします。
以下、その「説教」(という名の悪事への誘い)の中身を超簡単に2人の会話にしてみました。
ヴォートラン「お前がものすごい努力して検察官や裁判長、弁護士になったところで収入はたかがしれてるぜ」
ラスティニャック「それまじ?」
ヴォ「それより資産家の娘と結婚しろ。そうすれば何十年もあくせく働いて得る収入の何十倍もの資産がいっぺんに入って、出世も思いのままだぞ、ふっふっふ」
ラス「そんな娘がいったいどこにいるってんだよ」
ヴォ「お前さんの部屋のすぐ向かいの部屋に住んでるじゃん」
ラス「ヴィクトリーヌが!?彼女は無一文じゃないか」
ヴォ「父親は大富豪だけど、彼女は認知されてないのさ。このままだと彼女の兄さんが100万フランの財産をすべてひとりで相続しちまって、彼女には一銭も入らない」
ラス「ふうむ。それで僕にどうしろっていうの?」
ヴォ「俺がその兄を殺して、彼女が資産を相続できるようにしてやる。おまえは彼女と結婚して、それをせしめる。あとはわかってんな」
ラス「まぢか〜」
ヴォートラン、ラスティニャックがこの後どうなるかは小説を読んでのお楽しみ。
さて、もう一人の主役、ゴリオ爺さんはどんな人でしょう。
ゴリオ爺さんはアパートの一番粗末な部屋に住み、下宿人みんなの笑いものにされていました。
でもこの爺さん、実はもともとは製麺業で財をなした資産家だったのです。
ゴリオ爺さんにはふたりの愛娘があり、彼女たちを貴族に嫁がせるため、1人につき50万フラン、合わせて100万フランの大金を持参させました。そのせいで自分は貧乏人に転落してしまったのです。
ゴリオ爺さんはやがて、すべてを捧げた最愛の娘たちに看取られもせず、孤独に死んでいきます。
ゴリオ爺さんのみじめな臨終に立ち会ったラスティニャック青年は、親不孝者の娘たちと堕落した貴族社会に深く失望し、、、。
富める者と貧しい者の格差が広がっていく
ピケティは『21世紀の資本』の中で、この『ゴリオ爺さん』の中のヴォートランの「説教」(とは名ばかりの悪事への誘惑)の部分を繰り返し引用しています。
一体なんのためでしょう。
そのヒントは、小説の舞台となった1819年のフランス社会にあります。
この時期、フランスではナポレオン帝政が終わり、ルイ18世(下の絵のおっさん)が復位して王政復古の時代を迎えていました。
国王は形の上では立憲君主制をとりながら、市民革命やナポレオン帝政期に力を失った王侯貴族の権利を温存したため、どんどん彼らが力を取り戻します。
この時代はまた、イギリスから少し遅れて興った産業革命によって財をなした人々が現れ、「ブルジョワジー(中産階級)」として台頭していきます。彼らは資本家となり、富への欲望を高めていきます。
要するに、古い体制を残しながらも新しい市民社会が始まる、「フランス近代」「プレ資本主義」の萌芽の時代と言えばいいでしょうか。
とはいえ、裕福なのはひとにぎりの王侯貴族とブルジョワジーばかり。他の大多数の市民は最低限の収入すら得られず、貧困にあえいでおりました。
富裕層の図
当時、パリで最下層として生きられる最低限の収入が年間400フラン程度。そして、何年も王侯検察官として仕えた人の年収が5000フラン程度でした。
これに対し、ヴォートランが殺そうと企んだ貴族の息子が遺産相続する予定のお金は100万フランです。ちょうどゴリオ爺さんが娘たち2人に与えたお金と同額ですね。
この100万フランがどういう金額かというと、これを元手に投資すれば年間5万フランの金利収入(年利5%)が得られるという大金でした。
400フランでぎりぎりの生活を送っている下層部の人々を考えたら、とんでもない額だということがおわかりいただけるでしょう。
日本円で考えるなら、毎日へとへとになるまで働いて月収10万円でかつかつの暮らしをしている労働者がいる一方で、「月に1200万円の金利収入もらって毎日豪遊しまくってまーす」というパリピがいる感じ。
このように当時は、富める者はますます富み、貧しい者はずっと貧しいままの超格差社会だったわけです。
小説を読むと、田舎から出てきた青年が世の中の現実を知り、不平等から一刻も早く抜け出したいとあせる気持ちがわかってきます。
現代に通じる格差社会の縮図
ピケティがこの『ゴリオ爺さん』を何度も引用したのは、当時のお金に関する生々しい記録であると同時に、まじめに働く者が報われない格差社会の縮図をこの物語に見出したからです。
ピケティはこの物語が示す格差の広がりを、資本主義に内在する矛盾ととらえました。
そして、この格差が19・20世紀を経て、21世紀の現代まで拡大し続けていることを実証しようとしたのです。
推測ではなく実証しようとしたところがすごいところ。
そのためにピケティは、15年もの歳月を費やし、18世紀から現代までの約3世紀にわたる20か国以上の富と貧困に関する数値データを収集しました。
この地道な作業を通し、彼は資本主義がもたらす富の集中が貧富の格差を助長することを実証し、これまでの肯定的なとらえ方を覆したのです。
米国の著名な経済学者ポール・クルーグマン先生は、
と絶賛しました。
こうして『21世紀の資本』は世界累計250万部を超える経済学書の大ベストセラーとなり、ピケティ自身も一躍「経済学」のトップスターに躍り出たのです。
富は世襲によってさらに増える
要点②で示した通り、資本家がたくわえた資産は相続・世襲されていくため、労働者との格差は縮まるどころかむしろ拡大していきます。
個人資産は相続税で減りはしますが、残ったお金を再投資すれば、株や不動産から再びインカムゲイン(配当や家賃収入)が入ってきます。
10億円の遺産が相続税で仮に半分に減ったところで、資産を持たない人と一緒のスタート地点に戻るわけじゃないですからね。
それで思い出しましたけど、『ゴリオ爺さん』をぼろぼろの古本で読んでいた超ボンビー学生のころ、同級生の友人に親から相続した株の配当で優雅に暮らすフトドキなやつがおりました。
たしか父親が上場企業の元副社長か何かで、その会社の株を何十万株も相続したって話でした。
この男がまたモテてモテて。
ピケティに話を戻すと、受け継がれる資産は何も個人のお金だけではありません。
たとえば会社の資産。
設備や不動産、キャッシュの内部留保、さらには労働者さえも資産として蓄積され、事業存続とともに次のトップに受け継がれます。
そして例のモテモテ同級生のような、新たな「レンティア(フランス語で不労所得生活者、金利生活者のこと)」が次々と生まれていくのです。
そう考えると、格差が自然に縮まるとは到底思えませんね。
要するに資本家はずっと得をしている
ピケティが3世紀分の資本と労働のデータを集約し、さらに2000年にわたる人類の成長を加味して作った有名なグラフがこちら。
出典:ピケティHP
2つある折線グラフの上が年間の資本収益率(r=税引き前)、下が経済成長率(g)の推移を示しています。縦軸の単位は%、横軸が西暦(0年〜2100年)。
これを見ると、rがgをずーっと上回ってますね。
20世紀前半(図の1913-1950→1950-2012)にrとgの差が急速に縮まっていますが、これは2度の世界大戦や金融恐慌によって資本の多くが破壊されたり消滅したりしたため。
でもこれもすぐ戻り、この先ずっと格差が広がっていく未来が待っていることをグラフは示しています。
従来の経済学では、資本主義が進むほど富が多くの人に行き渡り、その結果所得格差が縮まって人々は平等化する、とされてきました。
しかしその分析は、20世紀の先進国(主に米国)という狭い範囲に限って研究がなされた結果にすぎなかったのです。
経済学者はだれひとりとして、ピケティのように20か国の300年分ものデータを収集しようなんて思いませんでしたからね。そんなことは歴史学者の仕事だと半ば見下していたようです。
でもピケティは、このだれもしようとしなかったことを15年かけてやったのです。
そして、より長期で広範なデータを見渡すことで、過去200年の資本主義下では常に資本成長が経済成長を大きく上回ってきた、と看破できたのです。
この格差、21世紀はどうなんの?
さきほどのグラフでもおわかりの通り、21世紀に入って先進国の経済成長率(g)が軒並み鈍化したことで、再び資本成長率(r)との差が広がり始めています。
ピケティは、この差を縮めるためには法人税や相続税などを強力な累進課税にする必要があると主張しています。
労働者の賃金を上げ、所得減税をする一方、資産に対しては増税していく。これが自然な解決策であると。
このまま何もしなければ、西暦2100年にはrとgの差はベル・エポック(産業革命が進み消費文化が花開いた時代)のころと同じくらい広がる、と予測しています。
ただ、ピケティの提言する資本への急進的な課税には、「リスクテイクのインセンティブを弱める」という反対意見も強いようです。
投資をしたり資金を出して起業するなどの「リスク」を取ることが経済発展の原動力なのに、成功者に大きな課税を課したらだれもリスクを取らなくなる、という考えですね。
それに法人税が大きい国からは大きな企業が逃げていき、結果的に税収や雇用の低下につながります。
でも中産階級が消滅し、一部の大金持ち資本家と大多数の低所得労働者とに二分される『ゴリオ爺さん』の時代のような社会は、あまり健全な未来とは思えません。
ここが資本主義の難しいところ。
格差社会、日本はどうなの?
「持てる者」と「持たざる者」の格差はわが国でも広がっています。
ピケティは『週刊東洋経済』のインタビューで、日本の状況について「欧州と似ているが欧州よりも極端なケースになっている」と語っています。
その表れとして、国民所得に対する民間資本の割合が、戦後の3倍から現在では6~7倍にふくれあがっていることを挙げ、「経済成長がスローな国では資産の蓄積がより大きくなる」と説明しています。
そして人口減少社会が進み、子供が少なくなると、相続財産(過去に蓄積された富)の割合がより大きくなるため、「時代を経るにつれて大きな不平等を生むリスクを抱えている」と警告しています。
『21世紀の資本』を読むにつけ、どうもわが国は税制面でことごとくピケティの提言と反対のことをやっている気がします。
賃金が上がらないまま所得減税をやめ、年収が落ち込む中、逆に低所得者ほど負担感が大きい消費増税を断行。
一方で大企業に有利な法人減税、中小企業には手厚い優遇税制を敷き、投資を促して海外との競争力を高めようとしています。
でもこのデフレ下で企業はひたすら内部留保に走り、利益を吐き出しませんから、積極投資や賃上げが進むはずがありません。
そういう意味では資本家(株主)にもあんまり還元されてないって話かも、、、。
私は専門家ではないので、この先の議論は政治家や経済学者に任せますが、「失われた30年」のデフレは、こんな税制面の悪循環が原因なんじゃないかと思えてなりません。
【結論】gではなくrの線に乗れ!
僕は経済学なんてしょせん答えの出ない宗教みたいんもんだと思っているので、ピケティの意見に全面的に賛同するわけではありません。むろんピケティが論破した従来の経済学の資本主義観もさらに疑うしかない。
ピケティの結論については、高所得者や高収益の企業にぶあつく課税せよみたいな解決策ってちょっと現実離れしてない?って思ってしまいます。投資を呼び込めずに他にとられていく国は、いずれ痩せ細っていくと思うからです。
「ピケティは都合のいいデータしか出していない」
「20世紀は下層の人の収入の方が上昇率が高く、格差はそこまで広がっていない」
という反論もあります。下の書籍に反論の主旨がまとめられていました。本人もある程度認めているようです。
ただ、これからの世界経済や格差社会を考える上で本書『21世紀の資本』は欠くことのできない基本文献となるのではないでしょうか。
まあどのみち、われわれは30年もの間なにも有効な手立てを打てなかった政府の政策転換など待っていられません。何が正解なのかもわからないのですから。
わかっているのは、この資本主義経済の世の中は、どうやら資本家に有利なようにできているらしいってこと。ピケティがそれを15年かけて証明してくれたのです。
僕が勉強する投資スクールの投資セミナーでもちょうど同じような話をしていました。
スクールの紹介はこちら↓↓↓
僕がピケティをとりあげたのも、労働による成長より投資による成長の方がずっと早く資産が増やせることを投資家のひとりとして実感しているからです。
我々が不等式「r>g」から学ぶべきことはただ1つ。それは、
やせ衰えるgの線ではなく、拡大し続けるrの線に乗れ!
すなわち、
早く資産を増やしたいなら、労働者であると同時に、1日でも早く資本家(投資家)になれ!
ってことです。
資本家になること、投資をすることは決してお金持ちの特権ではありません。100円でも1000円でも投資をすればだれでも資本家になれるのです。
(結論)資本主義の下では、資本家をねたむのではなく、自分も資本家になって一刻も早くお金に働いてもらいましょう。
- 社会の成長より資本の成長の方が早くて大きい
- 『ゴリオ爺さん』にヒントがあった
- 富める者と貧しい者の格差は広がるばかり
- 富の世襲で格差は拡大する
- 要するに資本家はずっと得をしている
- 21世紀の日本はさらに格差拡大
- 【結論】gではなくrの線に乗れ!
ピケティ『21世紀の資本』はこちら
おすすめのやさしい解説本はこちら
(追記1)
「週刊現代」の記事が図解入りでわかりやすいのでご紹介。後半にあるピケティ氏の講演後の東大生との質疑応答が抜群に面白いです(記事はこちら)。
「親は選べないが、貧しくても恥じることはない。いかに将来、世界に貢献できるかが大事。ただ格差によって教育の機会が阻まれてはいけない」というピケティの言葉が心にしみます。
(追記2)
トマ・ピケティの新刊『資本とイデオロギー』がついに邦訳・刊行されました。
まだ読んでいないので、Amazonから要約を拝借w
ベストセラー『21世紀の資本』を発展継承する超大作、ついに邦訳。《財産主義》という視点から、三機能社会、奴隷制社会、フランス革命、植民地支配から現代のハイパー資本主義まで、巨大なスケールで世界史をたどり、イデオロギーと格差の関係を明らかにする。さらには《バラモン左翼》と《商人右翼》の連合に囚われつつある現代民主政治を分析。労働者の企業統治参画と累進年次資産税など、新たな公正な経済システムを提示する。
超富裕層への富の集中が人類をダメにするという内容らしく、こうした最富裕層が死んだら相続税率を最大90%まで引き上げる、25歳になった市民に公的補助金を一律支給するなどの提案をしているようです。「富の再分配」をどうするかは成熟した資本主義社会の大きな課題でもありますね。
(追記3)
『21世紀の資本』は映画化もされました。監督はジャスティン・ペンバートン。ピケティご本人も出演して解説してくれます。
ジャーナリストの池上彰氏は「本も読んでほしいところだが、まずは映画で現実を直視しよう。いくら働いても豊かになれない秘密を映画は教えてくれる」とコメントを寄せています。
公式ホームページはこちら。
Amazonプライムで視聴可能です。
視聴サイトはこちらから